1 、11年間に亘る大会規模の変遷

1) 大会別参加状況— 表-1表-2 参照

第1回大会から第12回大会までの11年間を、参加チーム数及び参加選手数の視点から分析すると、以下の3期に区分することができます。

①立ち上げ及び我慢期ー第1回大会~第4回大会

平成5年(1993年)に第1回マスターズ大会を立ち上げました。この年は何とか男子5チーム、女子4チームの9チームの参加申込みがありましたが、以後第4回大会までの3年間は9チームを超えることはありませんでした。特に第2回大会において、女子は前年と同数の4チームが集まりましたが、男子については1チームだけしか集めることが出来ませんでした。この間、実行委員会のメンバーは大会の継続を願い、口には出さなかったものの、とにかく3年間は辛抱しようという思いが皆の表情や行動に表れていたように思われます。何故、我慢期にならざるを得なかったかを考えますと、多くの全国大会が開催されているのをはじめとして、大会が目白押しの過密化した夏休みに新しく大会を参入させることの難しさと、大会名に教職員という名前が入っていることから一般のクラブチームが参加しにくかった、この2つが大きな原因と思われます。

② 萌芽期ー第5回大会~第8回大会

平成9年度第5回大会は初めて豊田市を離れて、名古屋市の愛知県体育館で開催されました。この大会は第40回全日本教職員選手権大会と連結させて、最初教職員大会を開催し、終了後引き続きマスターズ大会を開催するという大変忙しい年になりましたが、男子女子共に5チームが参加し、初めて合計2ケタ10チームが参加しました。しかし、参加チームを見ますと男女とも相変わらず殆どの選手が教職員出身者でした。ところが、第6回大会からはちょっと様子が変わってきました。男子チームが前年より倍増し、女子は1チームの微増で6 チーム合計16チームが参加しました。更に男子の初参加の5チームは愛知コモンズ、名城オールスターズ、神楽坂フェニックス、生駒オークス、下関巌流会という一般のクラブチームでした。第7回大会は山口県の下関市、第8回大会は愛媛県の松山市で開催されました。この両方の大会が愛知県から離れてはじめて開催されたことになります。

この両都市で開催された第7回、第8回大会も、男女とも初出場のチームの殆どが一般(続く)

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