施設2つと教室1つを利用することでこの問題も無事解決しました。

エピソードその3

大会後にアンケート調査を行ないましたが、宿泊について利用者から2つの反応がありました。大会中の宿泊施設の1つは5階建ての5階に在り、エレベーターも当然無し、しかも室内は2段ベッドのエアコンなしと云う施設だったので、“大学時代の厳しい合宿を思い出して良かった”と“この年齢ですのでお金も有りますから、ホテルに宿泊させて欲しかった。”というご意見でした。

この結果、第2回大会からは市内のシティホテルを利用することにしました。

3) 食堂と150人分の食事の確保

食事を取る為の施設は、宿泊施設に出来るだけ近くに在ると云うことが条件になるので、大学正門前にある田園レストラン「ヒ°ノキオ」のオーナーに交渉しました。「その期間は家族で旅行に出掛けているので協力出来ないが、施設だけなら貸しても良いですよ。」というご好意に甘えさせて頂きましたが、150人分の食事の難題が残りました。しかし、この件につきましても多くの人達のご協力を頂き解決することが出来ました。豊田市内の料理屋さんに食肉を卸している精肉店の社長に相談したところ,取引先の数店舗を紹介して頂きまして交渉した結果、中華・洋食・和食の3つのお店が協力をして下さることになりました。これに加えて精肉店の社長もオツマミを中心にオードブルを申し出て下さり、計4店舗が店の昼休みにそれぞれ3~4種類を調理して懇親会の会場に出前して下さいました。150人分の食事を2日間作るのですから、お店の方にはご面倒をおかけしましたが参加者の皆さんには大変喜んで頂きました。

以上が第1回全日本教職員ハンドボールマスターズ大会の開催までの経緯です。この大会を10年~20 年と継続してゆく事が何よりも大切であり、その難しさを誰よりも痛感させられ、不安もありましたが、愛知県内、県外の多くの方々のご協力を得ることで、1つ1つのハードルをクリアしてゆく事ができたと思っております。

又、親と子のふれあいタイムにつきましては、第1回大会で見た子供達の光景が、その 誕生のキッカケとなったことから第1章に掲載させて頂きました。(続く)

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