第7 回全日本マスターズ大会の思い出

平成11年度第7回下関大会

実行委員長 中森英明

マスターズの大会を下関で開催できないだろうかと、打診があったのが第6回大会を優勝して帰ってきた、”下関巌流会”のメンバー達からであった。早速関係機関と相談したところ、是非やろう・・・、是非やって欲しい・・・の声も多く市を含めてやる気満々でスタートした。当時の下関市ハンドボール協会の会長、金田氏の強力なバックアップも大変頼もしかった.本格的な準備に入ったのは新年度が始まった4月であった。毎年実施されているのだから、参加チームは集まるだろうと甘く考えていたが、なかなか思うように良い返事が来ない。一番迷惑をかけたのが仮予約をしていたホテルであった。市,観光協会の補助金も予算より大幅な減となった。それでも、ーチームでも多くと・·・お願いを続けた。沖縄県から参加申し込みがきたときには嬉しかった。前年度女子優勝チームの、ギャロップレディースクラブ(岩手県)には是非参加して欲しいとお願いをしたが、人数など調整がつかず不参加となったのは大変残念だった。男子8 、女子6チームが最終的には決定したのが6月末であった。参加チームが多いか、少ないかは別として、大会が出来ることが大変嬉しかった。

楽しい思い出をつくって欲しい。素晴らしい試合をやって欲しい。ハンドボーラー達の素晴らしい出会いとなって欲しい・・・との思いを胸に、一丸となって準備を進めた。

参加チームが決まってからは、目が回るような忙しさであった。弱小協会でスタッフが少ないことに輪をかけて、大会直前の7月23日~25日、韓国釜山市で開催の第15回関釜親善ハンドボール大会に、下関市高校選抜チームの派遣準備、引率も重なって大変な日々であった。

8月6日(金)開会式を迎え、参加チームの代表者か揃った時には正直ホッとした。1日目の昼休みを使って、元オリンピック選手GK 井藤選手を呼んで、ちびっ子相手に7メートル合戦。なかなか好評であった。

夜の懇談会は、市長、教育長、市議会議長をはじめ多数の来賓の出席もあって、大変華やかなものとなった。メインのアトラクションは、下関巌流会のメンバーが中心となって地元保存会の太鼓の競演、全員参加のビンゴゲーム、ジャンケン大会など時間の経つのを忘れるほどの盛り上がりであった。2日目も予定通り順位決定戦も終わり、全日程を無事終えることができた。所期の目的が達成できたのも、参加選手の皆さんは勿論のこと、関係各位のご協力があったからこそと、感謝の念で一杯である。(続く)

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